「『歌唱力』の構造」第1章 世間一般から見た『歌唱力』

4."バラード"に『歌唱力』評価を求めるわけ
〜ニッポン人が考える「公平」〜

次は、「リズム」そのものに関するお話です。
いまはバンド天国でちょっと少ないのですが、やはりニッポン人はスロー・バラードが 大好きなことに変わりないでしょう。 そして、かつて「音楽祭」なるものがたくさんあった頃は、「スロー・バラード」は 特別な意味を持って、ポップス歌手を束縛していたのです。 では、なぜ「スロー・バラード」が特別の意味を持ったのでしょうか。

「音楽祭」では、建前として「楽曲が大衆に支持されていること」のほかに、 「歌手の歌唱力」なども審査基準にはいっていました。 それでは、誰がどうやって『歌唱力』を判定するのか。
ずばり、審査員が、自分の主観で『歌唱力』を評価することになるのです。 そのとき、どういう曲でなら公平に『歌唱力』を判定できるか、と考えて、 暗黙のうちに「事実上の標準」になったのが、「スロー・バラード」なのです。
理由は簡単。アップ・テンポの曲では、『歌唱力』を主観で判断しようにもわからない。 スロー・バラードなら、うまい下手が明確に伝わってくるので、判断しやすい。

ここで、賢明な読者の方は、すでに気づかれていると思います。 はっきり言って、理由になっていないのです。 それでもこの「論理」は、支持されてしまいました。
その「理由」が、ニッポン人のスロー・バラード好き、ならびにリズム感の欠如なのです。
もう少し詳しくお話ししましょう。一般にリズム感が欠如しているニッポンの ポップス歌謡歌手にとって、あるいはその歌手たちを担ぐ事務所やレコード会社にとって、 この「論理」は、まさに「渡りに船」だったのです。 同様に「専門」でない審査員の側も、リズム感の欠如は免れません。 そこで、お互いの利害関係が一致し、「事実上の標準」を業界の中で勝手に決めてしまった、 というわけなのです。
このことが、他国の音楽との間の「リズム」の差を決定的なものとし、 やがてポップス歌謡と職業作家の衰退、という決定的な事態を招く大きな要因と なってしまったのです。
そして、もう一つ言えば、「リズム偏重」といわれている最近の歌謡界も、 実は「リズム」そのものはあまり進化していません。 むしろニッポン人が無理なくノれる程度を知った人たちの策略に、 皆がまんまとだまされているだけ、という非常に貧困な音楽事情が、 そこに垣間見えるのです。
逆に言えば、「リズム感」が欠如している人への音楽なので、かえって 「リズム」を重要視せざるを得ない、とも言えましょう。
ちなみに、筆者の私見では、ちょうどおもしろくなくなってきた 10年程度前のアメリカ合衆国の音楽事情と、いまのニッポンの音楽事情とが よく似ているような気がしてなりません。

最後に、このことが、ますますニッポン人の「リズム感」の育成を阻害することと なってしまいました。 その結果は、次の節でさらに詳しく分析していきます。

Copyright(c) 1998,1999 歌謡歌手診断士:石原隆行 All rights reserved.

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1998.09.10作成
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