「『歌唱力』の構造」第1章 世間一般から見た『歌唱力』

2."ハート"よりも"テクニック"が受けるわけ
〜森進一と五木ひろしの例〜

こんどは、もう少し具体的に、『歌唱力』要素のなかでもちょっと異色な "ハート"と"テクニック"とについて述べてみます。 (なお、"テクニック"については、そのままでは「『歌唱力』分析チャート」に はいっておらず、強いて言えば「客観的表現力」の評価に"テクニック"が必要と 考えられます。)

森進一と五木ひろしが、男性演歌歌手のトップ・グループを走りつづけて きたことは、疑いようもない事実でしょう。 しかし、この二人も、『歌唱力』評価がだいぶ違っています。
(森進一と五木ひろしの「歌唱力分析チャート」に基づく歌唱力評価 =リズム感は未分析=)
・森進一 1(当初から)、5(5は一般に認知されていない)
・五木ひろし 1,3(ともに当初から)

森進一が「影を慕いて」を歌うときの思い入れは、大変なものです。 でも、このふたりでどちらの歌唱力が上か、と尋ねたら、やはり"五木ひろし"という 回答の方が多いのではないでしょうか。
実はそこに、日本人の考える『歌唱力』のひとつの典型が、見えてくるのです。

一つめは、本人がいかに「思い入れ」て歌っていても、まわりは覚めた目で 「なにこの人、自分の世界にはいってるの?」という態度である、ということです。
私自身も妹の結婚式のときに、誰あろう妻から指摘されてしまった経験があります。 タモリさんの有名なミュージカル嫌いも、おそらくこの辺に原因があるのではないかと 疑われる由(くわしくは第4章で)。
日本人は、歌手の解釈を「押しつけられる」のではなく、聴く側が自分の好きなように 曲を解釈するのが好きなのです。
もう少し言えば、ニッポンの音楽ファンが期待している歌唱は、 「歌詞の意味は理解した上で、あえてそれを考えずに歌う」ことなのです。 そうすることによって、楽曲が作家や歌手の手を離れて、自由に飛翔する、 あるいはその世界を拡げる、ということになるのです。
すなわち、"ハート"については、歌手本人が主導する方法は、ニッポンでは 認められていないのです。

二つめは、"テクニック"はわかりやすい『歌唱力』の評価ポイントである、 ということです。
演歌には、「こぶし」と呼ばれる独特のテクニックがあります。このテクニックに関して、 二人の評価は両極に分かれます。
・森進一は「こぶし」を利かせることができない。
・五木ひろしは、「こぶし」を含め、テクニック面で優れている
(「全日本歌謡選手権」に出ていたときから、テクニックに走りすぎている、との指摘が あったくらい)。
もうこれで、ほぼなぞ解きができたのではないでしょうか。
演歌なんだから、「こぶし」を利かせて歌う「べき」である。なのに森進一は 「こぶし」を利かせられない。 ならば、歌がうまい、とは言えない。 一方、五木ひろしにはその辺の問題はない。
あまりに粗っぽいのですが、一般の評価とは、そんなものなのです。
ちなみに、前出の松田聖子は、「演歌を演歌らしく歌える」という評価も得ています。 この「らしく」というのも、テクニックの重要な要素です。彼女が別の名前で出した 演歌のレコードはあまり売れませんでしたが、業界筋の評判は結構高かったようです。
すなわち、"テクニック"については、なければ切り捨て、 きちんと備わっていれば非常に高く評価される、というのが、 ニッポンでの現状なのです。

(#私はカラオケバーで「おまえはテクニカルに歌がうまい」と元上司に言われた ことがあるが、全然うれしくなかった。)

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1998.09.10作成
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