「歌謡歌手診断士」の音楽/演劇遍歴


〜お読みになったところで、何の役にも立ちませんが、よろしいんですか?〜

・乳児のころ
東京オリンピックのファンファーレが聞こえると、テレビの方向へ一直線にはいはいしていたらしい。 いまだに私の脳に焼き付いた、大好きなメロディーである。(年齢がばれる〜!)
・小学校のころ
父が会社<C>から買ってきた童謡のレコードに夢中。 ボイス・チェンジャー付きステレオにマイクをセットし、歌いまくる。 やがて、妹をも巻き込む。
このころ、歌謡曲にはほとんど興味なし。 父が好きなナツメロ番組には付き合う。
・小学校4年のとき
Y市の音楽発表会にT小学校代表約70人(一学年300人のマンモス校だった。 ちなみにT小学校は山口百恵の母校でもある)のひとりとして参加。 高音部担当者のひとりとして、Y市文化会館のステージに立つ。
・小学校6年のとき
音楽担当のS先生に個別に呼び出され、なぜかモーツアルトの交響曲第40番を「S先生の好きな曲」として聞く。 S先生、私に相当思い入れがあったらしい。 ひょっとしたら、将来音楽関係の仕事に就いてほしい、と期待していたのかも。 これも「思い出の曲」になっている。
・中学校1年のとき
歌謡曲をよく聞くようになる。 このころの好きな歌手:太田裕美。 そして、運命の(?)榊原郁恵デビュー。
・中学校2年のとき 自主集計による歌謡曲チャートを作成するようになる。 本格的に歌謡曲に「はまって」いきはじめた年。
・中学校3年のとき
榊原郁恵、石野真子のほか、庄野真代やゴダイゴなどもよく聴いていた。 さらに洋楽にも興味を持つようになり、まさにポピュラー音楽どっぷりの生活。
・高校生のころ
私が考える「歌謡曲」黄金時代。 アイドル、ニューミュージック、演歌と、さまざまな曲がヒットチャートをにぎわす。 自主チャート作成が楽しくてしょうがなかった時期だけに、受験勉強そっちのけで 「レコード店まわり」や「雑誌の立ち読み」をして資料収集したっけ。
・高校2年のとき
「オリコン・ウィークリー」と出会う。 さらに「歌謡曲」にはまっていくが、特に「女性アイドル」へのはまり方が顕著となる。
・高校3年のとき 榊原郁恵がミュージカル「ピーター・パン」に初主演。 新宿コマ劇場へ勇んで見に行く。 演劇にはまるきっかけに。
・大学にはいると
某W大学で「歌謡曲」関連サークルにはいろうとするが、 「マスコミや新人アイドル歌手と仲良くしよう」というコンセプト、 ならびに批評そのものの軽さに嫌気が差し、独自研究の継続を決意。
河合奈保子や柏原芳恵、岩崎良美、松田聖子、松本伊代などのレコードも手にする。
・大学3年のとき


「オリコン・ウィークリー」の「読者の研究レポート」(この企画は結局1-2回でポシャった!)に入選。 テーマは、「'82年組アイドルは何故強いのか?」。
このときはじめて、「歌謡歌手診断士」のペンネームで応募。 400字詰め原稿用紙4枚以内、という規定に、200字詰め原稿用紙8枚 (この他に図があったが、字数としての制限は守った)で応募したが、 「制限オーバー」と言われる(いまだに根に持ってます)。
この原稿で発表した「女性アイドル3分類表」は、 その後「プレーボーイ」写真文庫「ギャルズ・メイトVol.2 アイドル・ベスト・コレクション72」に、 私の表にない'70年代前半のアイドルを加えつつ、ごっそり盗まれた模様。 (この本、記念に持っているが、プレミアムがついているらしい!)
しかしこの年、私が「軽薄曲ばやり」と呼ぶ、歌謡曲凋落現象のはじまり。 夏のアルバイトがきつい肉体労働で、資料収集ができなかったことに起因して、自主チャート作成をやめてしまう。
・大学3−4年のころ
このころになると、「ピーター・パン」以外のミュージカルや、ストレート・プレイも見るようになる。 演劇鑑賞趣味は、父親になるまで続く。
・社会人になって


歌謡曲よりも演劇の趣味にはまっていく。 ミュージカルから小劇団(3年後輩の女性が「離風霊船」の劇団員だった!)まで、 2ヶ月に1本ぐらいのペースで見まくる。
しかし、「オリコン・ウィークリー」は読みつづけ、 「君こそ評論家!」という月1回の新譜品評イベントの常連となる。 ゲストで来た大ブレイク寸前の荻野目洋子や、 まだほとんどアニメファンにしか知られていなかった森口博子と握手したことも。
ほかに中森明菜、斎藤由貴などのレコードも手にする。
・1990年代にはいると

いよいよ歌謡曲からは離れていく。 紅白歌合戦にも興味がなくなり、「ご隠居」と自称するようになる。 しかし、「歌謡曲分析チャート」は、実は1990年代にはいってからようやく仕上がってきたもの。
演劇については、いまの妻との最初のデートが'90年夏の「花形歌舞伎」公演だったことが象徴するように、 演劇鑑賞の趣味が合ったことがさいしょのきっかけとなって、翌年結婚。 結婚後もペースは落ちるものの、父親になるまで、ちょくちょく演劇は見に行っていた。
・父親になると

さすがに歌謡曲も演劇も横に追いやり、仕事と子育てにほぼ専心。 ただ、ここ1-2年ほどは、妻子の影響でアニメに多少はまるようになり、林原めぐみにちょっといかれている。 歌謡曲の情報収集はTBS「王様のブランチ」の「Count Down TV Repeat」が頼りとなっている。
演劇は父親になってから1本も見ていない。

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1998.06.12作成
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